相続放棄申述却下審判に対する即時抗告申立事件
平成8年(ラ)第57号 名古屋高等裁判所金沢支部決定
(主文)
原審判を取り消す。
本件を福井家庭裁判所に差し戻す。
(事実関係)
a) 抗告人らは,いずれも父X(昭和52年11月29日死亡。)と母Yとの間の子である。
b) 被相続人であるZは,Yの弟である。Zは,婚姻をしたが,子がなかったため抗告人A(以下,「A」という。)をZ夫妻の養子とした。
c) 昭和55年10月,Z夫妻とAは離縁し,それ以後,Y及び抗告人らとZ夫妻との交際は一切なくなった。Zは,昭和58年4月に離婚した。
d) Zは,平成6年5月20日に死亡した。Zの相続人は,YらZの兄弟達である。Z死亡当時,Yは,88歳と高齢であったが,他の兄弟からの知らせにより葬儀には参列した。Zには多額の負債があったため,Y以外の兄弟達は,相続を放棄したが,そのことはYや抗告人らには全く知らされていなかった。
e) Yは,平成7年9月12日に死亡した。
f) 抗告人B(以下「B」という。)は,平成8年1月23日,Zの債権者から「自分は,Z所有の不動産について,所有権移転仮登記の本登記手続請求権があるが,YがZを相続したので,この義務を履行してもらおうと思っていたところ,Yが死亡したので,その相続人である抗告人らにおいてこの義務を履行してほしい。」旨の申し入れを受けた。Bは,この申し入れを受けて初めて,Yが法律上Zの相続人となっていたこと,Zには多額の債務があって他の相続人らは相続放棄をしていたこと,Yの相続人である抗告人らはYの相続を通じてZの債務を承継する立場にあることを知った。他の抗告人ら4名は,平成8年2月下旬に,Bからこの申し入れの話を聞き,自分達が上記の立場にあることを知った。
g) 抗告人らは,平成8年3月14日,家庭裁判所にYに対する相続放棄の申述の受理を申し立てた。この申立ては,もっぱら,Yに対する相続を放棄することによりZの債務の承継を回避しようとの意図に出たものであり,申立書にもその旨が記載されていた。
h) 上記裁判所は,平成8年6月12日,抗告人らによるYの相続財産の処分があり単純承認されたなどとして,抗告人らの上記申立を却下した。
i) 抗告人らは,平成8年7月10日,上記裁判所に,改めてZに対する相続放棄の申述の受理を申し立てた。
(裁判所の判断)
YとZとの交際状況や当時88歳というYの年齢等の事情によれば,Yは,被相続人の死亡から自己の死亡までの間,自己が法律上Zの相続人となったこと及びZに相続財産(債務)が存在した事実を知らなかったものと推認でき,Yについては,生前,Zに対する相続放棄の熟慮期間は進行していなかった。
Yについて,Zに対する相続放棄の熟慮期間が進行していなかった場合には,相続によりこの地位を承継する抗告人らは,Zに対する相続の放棄をすることができる。
抗告人らとZとの交際状況や本件申立てに至るまでの状況等の事情によれば,Yに対する相続放棄の申述受理の申立てが却下されたことによって,抗告人は,自己のためにZの相続財産につき相続の開始があったことを知るに至ったものと認められる。
そうすると,Zに対する相続放棄の熟慮期間は,Yに対する相続放棄の申述が却下された平成8年6月12日から進行を開始したと認めるのが相当であって,抗告人らの同年7月9日になされたZに対する相続放棄の申述受理の申立ては,その相続放棄の熟慮期間になされた適法なものというべきものである。
よって,本件抗告は理由があるから原審判をいずれも取り消し,抗告人らの各申述を受理させるため本件を原裁判所に差し戻すこととして,主文のとおり決定する。
(弁護士のコメント)
本決定は,
再転相続において,相続人の熟慮期間が進行していなければ,再転相続人は,相続により承継した相続人の地位に基づいて,再転被相続人の相続につき放棄することができ,
再転相続人の熟慮期間(民法916条)の起算点は,同915条1項の「自己のために相続の開始があったことを知った時」と同様に解するのが相当であるとして,
Zの相続につき,Y及び抗告人らの同条の要件該当について判断をしました。
(要件該当性)
本決定では,民法915条1項の熟慮期間は,
① 相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った時,
② 相続人が①の事実を知った場合であっても,3か月以内に相続放棄等をしなかったことにつき特段の事情がある場合には,相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又はこれを認識しうべかりし時,
から進行するとされています。
・Yについて
c) 昭和55年10月,Z夫妻とAは離縁し,それ以後,Y及び抗告人らとZ夫妻との交際は一切なくなった。
d) Z死亡当時,Yは,88歳と高齢であったが,他の兄弟からの知らせにより葬儀には参列した。Zには多額の負債があったため,Y以外の兄弟達は,相続を放棄したが,そのことはYや抗告人らには全く知らされていなかった。
↓
「自己が法律上Zの相続人となったこと及びZに相続財産(債務)が存在した事実を知らなかったものと推認でき」る。
ただ、この判決文の表現からは,要件①の判断なのか,①,②双方についての判断なのかは明らかでないように思われます。
・抗告人らについて
f) 抗告人B(以下「B」という。)は,平成8年1月23日,Zの債権者から「自分は,Z所有の不動産について,所有権移転仮登記の本登記手続請求権があるが,YがZを相続したので,この義務を履行してもらおうと思っていたところ,Yが死亡したので,その相続人である抗告人らにお家この義務を履行してほしい。」旨の申し入れを受けた。Bは,この申し入れを受けて初めて,Yが法律上Zの相続人となっていたこと,Zには多額の債務があって他の相続人らは相続放棄をしていたこと,Yの相続人である抗告人らはYの相続を通じてZの債務を承継する立場にあることを知った。他の抗告人ら4名は,平成8年2月下旬に,Bからこの申し入れの話を聞き,自分達が上記の立場にあることを知った。
↓
① 相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った時,
に該当するともいえそうです,しかし
g) 抗告人らは,平成8年3月14日,家庭裁判所にYに対する相続放棄の申述の受理を申し立てた。この申立ては,もっぱら,Yに対する相続を放棄することによりZの債務の承継を回避しようとの意図に出たものであり,申立書にもその旨が記載されていた。
h) 上記裁判所は,平成8年6月12日,抗告人らによるYの相続財産の処分があり単純承認されたなどとして,抗告人らの上記申立を却下した。
との事情から,抗告人らは,申立てが却下された平成8年6月12日に「相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った」として,同人らの熟慮期間は,同日から進行するとされました。
最判昭63.6.21は「丙(再転相続人)が乙(相続人)の相続につき放棄をしていないときは,甲(再転被相続人)の相続につき放棄をすることができ,かつ,甲の相続につき放棄をしても,それによっては乙の相続につき承認または放棄をするのになんら障害にならず,また,その後に丙が乙の相続につき放棄をしても,丙が先に再転相続人たる地位に基づいて甲の相続につきした放棄の効力がさかのぼつて無効になることはないものと解するのが相当である。」としています。
とすると,本件の抗告人らは,Yの相続につき放棄の申述受理の申立中であったしても,法的にはZの相続につき放棄することが可能であったといえ,BがZの債権者から債務の履行の申し入れを受け,それを他の抗告人らに伝えた時点から,熟慮期間が進行すると考えることも可能であったといえます。
しかしながら,抗告人らとしては,Yに対する相続放棄の申述が受理されれば,Zに対する相続放棄をするまでもなく,それによってZの相続財産(債務)の承継を回避できることから,その申述が却下されるまでの3か月以内に,抗告人らに対し予備的にZに対する相続放棄の申述受理の申立てをすべきものと要求するのは,抗告人らとって酷といえます。
そこで,本件においては,
g)の事実の内,「この申立ては,もっぱら,Yに対する相続を放棄することによりZの債務の承継を回避しようとの意図に出たものであり,申立書にもその旨が記載されていた。」ことが,重要なポイントであったといえます。
本決定は事例判断ではありますが,今後の再転相続における放棄の申立ての当否を判断する上で,参考となる重要な裁判例といえます。